反神反義

怠惰な学生が書くブログ。
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並び順 2007/01/30-Tue

最近不思議に思っていることがあります。気になって夜も眠れません。24時間そのことしか考えられません。

じゃあ早速問うて見ましょう。

「あなたは給食の時、どのくらいの順番に並びますか?」

前?真ん中?後ろ?


男性の方は、前の方に並ぶというパターンが多いと思います。僕の学校っていうかクラスでもそうです。クラスの名だたる大食いたちは列に割り込んで入ってでも前の方に並ぼうとしますが、正直言って意味が分からない。どこに並んだって同じじゃん、そんなの。

いや、列に割り込むってこともそうだけどもっと分からないのが、なぜ前の方に並ばなければいけないのかということです。本質的に考えればどの位置に並ぼうが全く同じで、むしろ、前の方は損をしていると言わざるを得ません。


この中学では全員が給食をもらってから「いただきます」の挨拶を一緒にしないと給食を食べることは許されないという掟があるので、前の方で早く給食をもらった人は全員がもらい終えるまで席でじっとしていなければなりません。暇です。そして何よりも、給食が冷めます。

何も大盛りにしたいからといって前の方に並ぶ必要は全くないのです。前の方に並ばないと俺たち大食いの分の給食が無くなっちまうぜという先入観を持っている人が多いようですが、前の方でなくても大盛り給食をゲットすることはできるのです。まあ確かに後ろの方に並ぶときもち少なく感じたり、足りなくなって他の人の分から分けてもらわないとならなくなるということもありますけれど。


では一体どのくらいの順番に並ぶのが最適なのでしょうか?

とりあえず前の方に並ぶことによって起こる不利益をまとめると、全員もらい終えるまで暇だということとその間に給食が冷めるということです。

この条件をクリアしなおかつ大盛り給食をいただけるのは、「真ん中よりちょっと後ろ」です。具体的に言うと、前から4/7くらいの順番です。これしかありません。

普通、給食当番が「あっ、これ後で足りなくなるべ。少なめにしよう」と危機感を持ち始めるのは後ろから1/3ほど人が残っている時点です。つまり、大盛りをよそってもらうにはこの瞬間が訪れる前に給食をもらってしまえばよいのです。そしてその状態で大盛りをよそるため、給食当番の精神面を考慮したうえで少し余裕を持たせた結果が4/7という数字です。これは真面目にそうです。


ただし、後ろの方だと給食当番とそれ以外の人が話した時に発せられた唾が混入する可能性が極めて高いので結局は一長一短です。
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クリックで救える順位がある→人気Blog Ranking |  2007/01/30-18:23 |  COMMENT(4)

実力テスト 2007/01/28-Sun

一昨日テストが返ってきたのですよ。

遡ること約三週間前に実施されたテストが実施されたのですが、業者が作って業者が採点するテストだったもんで返ってくるのが異常に遅く、そんなテストが過去に実施されたという情報なんて僕の脳からは削除されていたんですよね。

だから一昨日の朝、突然先生が「この前の実力テスト返す」って発言した時にはとても驚きました。腰を抜かしました。びっくりしてかつらが吹っ飛びました。というのは嘘でかつらなんてかぶるほど僕の毛は寂しくなっていなくまだ2323(フサフサ)ですが、とてもびっくらこきました。


今回のテストはかなり出来が悪かったと自分ではっきりと自覚していました。しかし、僕の脳は脳内に残っている都合の悪い記憶を自然と処理して削除していく構造になっているので、その時のその時までそのテストの存在をすっかり忘れていたのです。模範解答自体はテストが終わった日に配られたのですけれど、一通り目を通してみるとなんかケアレスミスや大いなる間違いが何個も発見できたのでもうこりゃだめだなと。もう終わったなと思いましたよ。しかしですよ、考えてみると希望も幾つか生まれてくるわけですよ。

何ヶ月か前にもこれと似たようなテストが実施されてその時も僕は出来が悪いと自覚していたのですけれど、いざ採点結果が返ってくるとこれが意外と良い結果だったんですよ。もう僕としてみれば奇跡としか言いようがない点数でかなり舞い上がったものでした。もう一つ、このテストは高校に送られる成績には全く関係が無いということもあります。現在僕が通っている学校は二期制なので、特別な方法で成績を出しそれが高校へと送られるわけです。


そんな二つの希望が僕を絶望の淵から引き上げてくれました。自分が作製した五枚の解答用紙を手に取り、いざ点数を見てみると意外な事実を突きつけられると共に心の中で呟きました。

「ワイ?ジャパニーズのポインツが低いアルヨ」

いやね、今までの僕の文面からは以外かもしれないけど、僕ってば実は文系の人間なんですよ。僕のテスト点数ランキングの上位を常に独占していたのが国語と英語だったのですが、今回は全く逆でした。っていうか、本当に完全に反転してました。つまり、上から過去の点数が高い順に紙に書いていったとすると、その紙を上下逆さまにしたような得点分布になりました。


この結果と、最近の授業で入試対策で過去問解いたりするんですけど、その二つの結果を照らし合わせてみて一つ思うことがあります。うん、なんか頭が文系から理系に切り替わったっぽい。

思えばこの傾向は僕が「三平方の定理」を学習してから見え始めていたような気がします。現に三平方の定理の単元では理解できない箇所が全くないし、関数なんかも三平方の定理を使って解けるようになりました。多分三平方の定理の理解度があまりにも良くてピタゴラスの影響を受けて、得意意識と苦手意識がひっくり返ったのだと思います。もともと数学は好きではあったのですが。


ところで、受験生の皆さんは勉強に励んでいるでしょうか?大抵の受験生は数学に苦手意識を持ち、数学の勉強を後回しにしているような気がします。そこで受験生の皆さんのため、僕から数学の問題を提示しようと思います。暇な方は解いてみてください。


<問>
地下水をくみ上げて利用する貯水槽がある。この貯水槽には2本の給水口A、B排水口Cがある。
Aは毎時20㎥の水が出る給水口である。この貯水槽を満水にするのにBのみを使用すると10時間かかり、AとB2本を同時に使用すると2時間かかる。また、Aのみから給水しCから排水した場合には4時間10分かかる。
ただし、給水口A、Bそれぞれの給水量と排水口Cの排水量は常に一定であるとする。

(1) 毎時Bから給水する水量を㎥として、貯水槽の容積に着目して方程式をつくり、の値を求めよ。

(2) Cから排水できる水量を求めよ。

(3) 貯水槽を空にし排水口Cを閉めた状態で、初めにA、B両方から給水し、y分後にBだけ止めて同時にCから排水したところ、貯水槽は3時間18分で満水になった。yの値を求めよ。


<問2>
一般の常識的に1+1=2となるが、1と1の和が常に2となることを証明せよ。


<問3>
リーマン予想を解決せよ。


ざっとこんなもんですが、特に問2と問3は本当に暇な方のみ解いてみることをお薦めします。
クリックで救える順位がある→人気Blog Ranking |  2007/01/28-15:03 |  COMMENT(0)

矯正装置 2007/01/25-Thu

歯に取り付けられた忌まわしき矯正装置におさらばして参りました。

僕は歯の噛み合わせが少しおかしく三年ほど前から矯正装置を使ってかみ合わせの矯正をしていました。最初にその矯正歯科へ赴いた時にオーダーメイド感覚で注文し作られた世界に一つしかない僕の歯専用のものだったのだけれど、三年も使ってくると型が合わなくなってきましてね。

この装置は装着すると話すのが困難になり、もしニュースキャスターがこの装置をはめてニュースを読んだ日には苦情電話が局を潰す勢いで殺到して周辺の電波が乱れて一時的にあらゆる回線の通信がストップするという現象が起こるほどに滑舌が悪くなるのですよ。

そのためこの装置を装着するのは夜間だけなのだけれどここ最近、朝目覚めるとまず一番初めに脳裏に浮かぶ言葉が「歯、痛っ」というほどに朝起きると歯が痛くなっていたのですよ。そりゃ装置を付け始めたばかりで装置に不慣れな頃も毎朝歯が痛くなっていたし、そもそも口の中に異物感を感じて寝ることさえ困難になっていましたけれども、最近はその頃を越えた痛さが毎朝僕を襲ってきていたのですよ。

さらに面倒なことにこの装置は濡れていないと形が変化するので使用していない時は常に水を入れた容器の中に入れて管理しておかないとならないし、少し放っておくとすぐカビが発生してグロテスクな光景を見ることになるため、毎日容器と装置を丁寧にケアしなければならかったんです。それに毎月その矯正歯科に通う金も馬鹿にならない。

昨日は毎月一回そこに通う日で洗面所にある容器から装置を取り出して歯に装着すると家から出て少し移動し、「ええ加減はずしてもええ頃なんちゃうか?」と思いながらビルの一角にあるいつもの矯正歯科へ入ってゆき、診察券を受付に出して宙を見つめながらぼうっとしていると自分の名前が呼ばれました。

「何か変わったことはありましたか?」
「いえ、大丈夫です」
「痛いところとかは?」
「大丈夫です(本当は痛いのだが反射で言ってしまった)」

という文学史に残るほど心の温まる会話を交わした後、来る前にあらかじめ付けておいた装置を歯から取り外して助手みたいな人に渡すと、医者が変なミラーみたいなのが付いている棒を使って僕の口の中を観察し始めました。

「歯を噛み合わせてみてください」
(僕、歯を噛み合わす)
「うーん、大分矯正されてきたし、もうそろそろ装置お休みにしましょう」
「分かりました」
「気になった時だけ付けてください。これからは装置を付けなくても状態を維持できるように歯に慣れさせましょう」
「分かりました」
「次回は3ヵ月後になります」
「分かりました」

矯正装置を外せることになった。

その夜、今までは歯を磨いた後に一丁前に歯に装着していたはずの装置は水の入ったままの容器に入れっ放しにして、そのまま就寝しました。以前までほぼ毎日欠かさず付けてきたので、無いなら無いなりに上手くは説明できないけど違和感がありました。

次の朝、布団から起き上がってみるとまず最初に脳裏に「歯、痛くない」という言葉が浮かんできました。パンを噛むことさえままならないほどの痛みを伴っていた朝から脱し、人並みに目覚めの良い朝へとレベルアップしたのです。

気分の良い僕は朝食を平らげた後そのまま洗面所へと向かいました。顔を洗い、歯を磨くとついいつもの習慣で装置の入った装置へと手が伸びてしまったのですが、気が付いてよかった。だってその容器にはカビが既に姿を現していたんだもの。うむ、装置を付けること自体は休めてもケアは休んではならぬ。

皆さんも、何かやるべきことをやり損ねてたりしていないでしょうか?この機会に是非とも確認してみてくださいませ。今ならまだ間に合うかもしれませんよ。
クリックで救える順位がある→人気Blog Ranking |  2007/01/25-17:55 |  COMMENT(3)

情報 2007/01/23-Tue

なんか皆情報に左右され過ぎじゃないですか?

いや、あの、あれなんですよ。そう、僕はテストの日の朝には必ず納豆を食べてるのですよ。僕の場合テストの日の朝に納豆を食すと、なぜか知らないけど思考力が鋭敏になって集中力も長い時間持続するようになるので、テストの日は必ず納豆を朝食のメニューに入れるようにしています。現に納豆を食べた日と食べていない日を比べるとその差は歴然としていて、納豆が存在しているおかげで例え僕が全く勉強していなかったとしてもいくらかの安堵感を得ることができていました。

先日、とある教科の小テストとと呼ぶか中テストと呼ぶかの区別が付かないくらいの規模のテストがあり、そのテストの日の前日に家から出て5秒のスーパーへ納豆を買いに行ったのです。ところが、無いんですよ、納豆が。ものの見事に納豆が置いてあったと思われる場所が空白なんですよ。本当に何にも無いんですよ。あるのは、納豆という文字と値段の書かれた値段票だけ。

おかしいおかしい。納豆なんていつもなら店の一角に山積みにされているじゃないですか。それが突然市場から消失ですよ消失。It's kaikikgenshou. 納豆みたいな現代の日本において特に若者層に人気が薄れている納豆がここまで売れているのには何か理由があるのではないかとここ最近疑りを入れていたのですよ。

そうしたらあるある大事典の納豆データ捏造が発覚ですよ。うむ、言うまでも無くこれが原因だ。なんか納豆によるダイエット法みたいなのを紹介したらしいですけど、騙される方も騙される方ですよ。っていうか、そんな情報に左右されないでくださいよ。もし納豆でダイエットができるのなら皆超痩せですよ。ゲッソリゲッソーですよ。それに今回の納豆に限らず、あるあるで紹介されたこと、特にダイエット関係はほとんどが虚実のものだと思います。

その問題であるあるは打ち切りになりましたが、これで納豆がスーパーから切れるなんてことはなくなるので、入試の時に納豆が無かったらどうしようと考えていた僕にとってはうれしい出来事でもありました。

なぜ女性はダイエットに対してそこまでひたむきになれるのでしょうか。現在世の中には食事制限、唐辛子、さらには絶食ダイエットなど様々な種類の、特に食事制限系のダイエット方法がありますが、はっきりと言わせてもらいます。それらのダイエットは一時的に成功してもまたすぐに、以前に増して体重が増えるリバウンドという現象が起こります。

それに食事制限というダイエット方法は、体が必要とする栄養をわざと不足させてやせるだけのことですから、その体型を維持するには徐々に量を厳しくしながら永遠に食事制限をするしかないのです。つまり、食事制限によるダイエットには成功という概念自体存在していないのです。

残念なことに、現代の女性は知識も無く身近なダイエット方法として食事制限によるダイエットを採用することが多いようです。なので、ここで僕が正しいダイエット法を紹介しようと思います。

「運動して蛋白質を取れ」

以上。いや、以上ですけど何か。

付け加えておくとすれば、運動とは有酸素運動と筋肉トレーニングのことです。女性は筋肉トレーニングという言葉に抵抗があると思いますが、大丈夫です。筋肉はそう簡単に大きくはなりません。筋肉の成長には男性ホルモンの分泌が必要なので、筋トレを行っても男性のように筋肉は見た目は成長しません。それに大きな負荷をかけなければ筋肉は大きくならないので女性はあまり心配する必要はありません。あと、蛋白質を摂ってください。ダイエットのために蛋白質を摂らないというのは危険です。というか、多分普通に摂っている人より最終的には太ります。ここら辺は詳しく説明するのが面倒なので簡略にしますが、体のあらゆる細胞を形成しているのが蛋白質なのです。それを日常的に摂っていないと、体の蛋白質の吸収率が異常に高くなり、ほんの少し摂っただけですぐ太る体質になります。ただし、過剰摂取はやはり太りますね。あくまで適量で。

いやぁいつの間にか話が逸れてしまいましたけど、上記のダイエット法はあくまで参考ですからね。情報に流されないでくださいよ。
クリックで救える順位がある→人気Blog Ranking |  2007/01/23-20:03 |  COMMENT(3)

Physical Education 2007/01/21-Sun

最近、次の日の予定を示す黒板に「体育」の文字があると、憂鬱な気分になるようになった。

というのも、この体育で行われる内容が虐待がましいもので、僕のような人間にはとても耐えうることのできる運動ではないのですよ。例えば、本気で400mを走らされてその直後に今度はタイヤを引きずってまた400mみたいな感じで、体を休ませるどころか精神の休憩時間さえも僕たちには許されていないのです。

ちゃんと走らないと「さっさと走らんかァァァァァアアこのボケナスアホンタランチンチクリンパー△※*■√#%・・・・!!!!」と叫ばれるし、生徒である僕たちには選択肢が与えられない、いわば教育という名の監獄の中に拘束されたような状態なんですよ。

それは一部の人を除いて生徒皆がほぼ同時に抱いている思いでありまして、いつか反体育連盟を結成して義務教育の必修課程から体育を削除してやろうと企んでいます。


「おい、準備はできたか!?」
「はい」
「よし。完璧だ」
「でも、隊長、あの、廊下にひもを張っておいて、体育の先生が通った時に足を引っ掛けて骨折させるなんて作戦で本当に大丈夫なんでしょうか?」
「大丈夫だ。体育の教師といったら体が資本だからな」
「でもあの先生は体育の時にも自分はほとんど動かないじゃないですか」
「え、そうだったけなぁ」
「そうですよ!いつも遠くから監視してるだけじゃないですか!」
「でもいくら体育の時に影響が出ないからといって、骨折したら体育の監督なんてできないだろう」
「もう、何考えてんですか、隊長!?バカじゃないですか!?そもそも何でその先生が骨折することを前提にして考えてるんですか!?」
「え、だって下手にこけたら骨折するじゃん」
「隊長ってほんとにバカだったんですね。あの先生は甲子園出場経験ありで、今でもバリバリ現役でムキムキのマッチョアスリートじゃないですか。そんな人がこけただけで骨折するわけないですよ。それに僕たちが犯人だってすぐにばれるじゃないですか。一体頭のどこら辺を使えばそんなことが考えられるんですか!?」
「おいおい、だから君はだめなんだ。例えば一般に人は、論理的思考を司るのが左脳で、イメージや音声を捉えるのが右脳だという知識があるが、それは科学的には全く根拠が無くて学者の間には認められていないものであり、そもそも左脳右脳という言葉自体造語なんだ。そういう間違った解釈がある限り我輩はそんな脳のどこを使って考えたなんて質問には答えられない。言っておくとすれば、大脳の全体を使って考えた。ちなみに脳に含まれる神経細胞の数は約140億個なのだが、それは脳を成す細胞の1割程度であり、残りの9割はグリア細胞と呼ばれるものなんだ。グリア細胞は神経細胞に栄養を供給したり、髄鞘を作って伝導速度を上げたりと、さまざまな働きをする。神経科学において髄鞘は、脊椎動物の多くのニューロンの軸索の周りに存在する絶縁性のリン脂質の層を指す。ミエリン鞘とも言う」
「なんで脳についてはそんなに詳しい知識を持ってるんですか。そんな頭があるんならもっと真剣に作戦を考えることに使ってくださいよ」
「うむ、そうしよう。ぬ!?まずい。教師が来た。一旦退散だ!!」
クリックで救える順位がある→人気Blog Ranking |  2007/01/21-18:48 |  COMMENT(3)

受験近し 2007/01/20-Sat

受験が近い。

二月一、二日が私立高校の一次、二次選抜であり、今日から数えるとあと十二日。公立の前期選抜は同月五、六日。そんな状況下に立たされている僕が今日何をして過ごしていたかというと、寝たり食事したりパソコンやったり携帯いじったりしてました。

うむ、とても充実した一日。あ、勘違いしてもらいたくないのだけれど、これは僕にとって充実した一日ということで、他の人には多分全く当て嵌まらないことです。勉強嫌いな僕が自分にとって楽しいと思えることだけ実行できたことはとても喜ばしいことなのだと。それと、これは僕の感覚が常識から多少道を踏み外してしまっているというだけのことなので、他の人は気にしなくて良いです。

しかし僕の怠惰っぷりといったら日に日に度を増しているみたいで、この間なんて友人の勧誘でとある携帯サイトのオンラインゲームに登録してしまいました。だけどそれも僕にとっては有意義な事象の一つです。受験前じゃ無かったらの話ですけどね。さすがにそこまで症状が進んでくると自分でも気付いてくるもんで、多少の危機感?みたいなものを持ち始めました。

つまり、自分に言い訳しながら遊び呆けていたらいつの間にか受験がそこまで迫ってたよってことです。

でも必ずしもこの生活が悪いことでもないって気もするのですよ。僕が受験する公立高校の過去の前期選抜の問題を見てみたら、その年の重要時事や知識を問う問題であり、いわゆる教科書で習う問題はほとんど出てなかったので勉強するだけ無駄だって思い始めたのですよ。それならネットで2006年の時事に関する情報を収集してた方がよっぽどいい。ちなみに数学は今まで一度も見たことのないような問題で、自分の能力で解くことのできる問題ではないと判断したので最初から捨ててます。私立は遠いし金もかかるのではなっから入る気なんかありませんのでそっちの勉強は全くしていません。

しかし公立の前期選抜(ちなみに合格定員は全体の20%)に合格できなかったら、ほとんどの確立でそうなると思いますが、そうなると後期選抜のために勉強する必要性が出てくるのです。でも僕はこれまで、学年末の総まとめのテストなんかも二、三日の勉強で済ませてきましたので、三年間勉強したこと全てが出題範囲といっても所詮一年が三つ集まっただけということになり、六日から九日間の勉強でなんとかなるということを理論上言うことができます。

まとめると、僕が受ける公立の前期選抜は遊んだ方が合格しやすい、後期選抜も一週間ほどの勉強で十分、私立は初めから無いものとして考える。結果、今の生活ペースを続けていけば合格も間違いないだろうということが結論として言うことができます。


以上、僕の受験に対しての見解を述べましたが僕が真に言いたかったことは、人間は追い込まれると全てを自分に都合よく考えるようになってしまうということで、この文章を読んでくださった人にある種の注意を促していたのです。皆さんは僕のようにならず、日々の計画をきちんと立て努力を怠らず生活していきましょうね。
クリックで救える順位がある→人気Blog Ranking |  2007/01/20-18:37 |  COMMENT(2)

僕と雑巾の方程式 2007/01/18-Thu

僕、雑巾の男です。

もし誰かに「あなたの特技は何ですか?」と質問されたらコンマ1秒で「雑巾掛けです」とダンディ風味にサングラスをかけ直しながら返答しちゃうほど、僕は雑巾掛けが得意な男なのです。学校でも僕に雑巾掛けのスピードで勝利を収めることのできる人はおらず、むしろ普通に走るより雑巾掛けで駆けた方が好タイムが叩き出せるかもしれない。それほどに僕は雑巾掛けが得意なのです。また、「雑巾」と検索すると第2検索ワードとして僕の名前が出てくる、というのは嘘ですが、とにかくそれほどまでに僕の雑巾掛けは神クラスなのです。

これまでも数々の伝説を創ってきました。日々トレーニングに明け暮れて鋼の肉体を手に入れた人も、僕には敵わなかった。また少林寺拳法を幼い頃から心得ている人も、僕には敵わなかった。そしてしばらく経つと、僕は『ゾウキング』という称号を与えられ、世間からそう呼ばれるようになった。

僕のその他の能力は他の人より著しく欠如しているのだけれど、唯一雑巾掛けという能力があるために世の中の人間とも辛うじて平等を保って生きてこれたのだと思っています。それを踏まえて色々分析してみると、こういう等式が成り立ちます。

『僕-雑巾掛け=死』

とにかく、僕にとって雑巾掛けというのはその上を行くものがないほどの究極の財産なのです。っていうかもう、僕は雑巾の化身だと言っても決して誇張にはならないと思います。近頃はもう雑巾とも会話できるんじゃねえか、夕日を背に共に語り合ったりできるんじゃねえかと思ってますもん。


いやー、なんかもう、自分のこと褒めすぎて申し訳ないんですけど、その人が一生の特技を得るためにはやはりそのための経緯や練習、努力が必要不可欠だと思います。いくら才能があったとしても、その才能を自分で発見して活かさなければ特技は得られません。さらにその特技が生活に役立ったり、または収入源になったりすることもあるのではないかと思います。ただそれにはやはり本人の努力が欠かせないのです。


それは桜とほんのり温かい太陽の日差しに見守られて進学した、中学1年生の頃でした。ダボダボの学ランを着させられて中学校という教育施設に放り込まれた僕は当時、小学校との環境の劇的な変化に大変な衝撃を受けました。校舎、授業、先生、行事、給食のおばさん、給食のじいさん。その全てが、僕にとっては新鮮で見慣れないもので、期待と不安の混交した思いで生活していたものでした。

清掃という活動もそのうちのひとつで、先生が掃除を指示し手伝っていた中央集権主義の小学生時代とは違い、完全な分散主義の世界でそれぞれの清掃場所で各自が独立して清掃を行っていたわけですが、これがいけなかった。

僕が最初に担当した場所は教室だったのですが、見張りの先生がいないとなれば真面目に掃除をする人などいませんでした。僕は当時それなりの責任感を持った人間でしたので、一人黙々と教室内の清掃をし完了へと導いていました。おかげで周りの人たちがみんな雑談をしながら笑いこけているという中で、僕一人が床に膝をつき雑巾掛けをしているという滑稽すぎる絵が完成してしまった。悲しすぎる。そして虚しすぎる。

まあ清掃場所といっても校舎内だけでなく、グラウンドとか体育館とかもあったんです。特に体育館はモップを引きずって歩くだけで清掃が成立してしまうほど楽チンな清掃場所として名を誇っていました。楽なゆえに、サボる人もいない。楽な上にサボりもいないなんて、それこそ理想の楽園じゃないか。僕は心の中で誓いました。

「次こそは絶対体育館担当になってやる!」

だけど、体育館清掃には誰でもなれるわけではありません。ジャンケンというギャンブルゲームによって当選する人と落選する人が決まるのです。

「じゃあジャンケン極めるしかないっしょ」

極めて簡単で単純な結論を出し、連日ジャンケンに打ち込む日々。一人で鏡に向かってひたすらジャンケン。しかしいつになっても勝つことができない。あいこばっか。一日三時間の猛練習を行っても、全く勝つことができない。というか、無限にあいこが続いて終わることができない。「あいこでしょ、あいこでしょ、しょ、しょ、しょ!」終いにはこんな悪夢を見る始末。

僕「ジャーンケーンポン!」
ジャンケン仙人「だめじゃだめじゃ!全くなっとらんわ!気迫を入れすぎじゃ!そこまで気迫を入れるとフォームの大きさで何を出すか相手にバレバレじゃ!」
「ではもっと静めて落ち着いた感じでやればよいのですね。ジャーンケーンポン」
「ああ、だめじゃだめじゃ!肩が動きすぎじゃ!肩は動かさず、ひじから先のみを動かすのじゃ!」
「分かりました。ジャンケンポン」
「ええい、だめじゃだめじゃ!手首にもっとスナップを利かせるのじゃ!高速で動かし、相手に手を見られないようにするのじゃ!」
「ジャンケンポン」
「うむ、免許皆伝じゃぁ~、免許皆伝じゃぁ~」


そして迎えた清掃場所決定の日。志願するはもちろん体育館。やはり体育館を志望する輩は大量におり、タイムサービスに群がるオバタリアンたちの群れみたいな状態ができていました。楽したいがために集まったゴキブリどもの楽園カーニバル。そして僕もその中に入り、雌雄を決するジャンケンが始まりました。大丈夫大丈夫。夢の中で、ジャンケン仙人にジャンケンの極意を教わったじゃないか。

「ジャーンケーンポン!!」

肩から先は動かさずひじから先を曲げ、手首のスナップを利かせて手を出すと、僕一人がグー、他の人は全員チョキで僕が一抜けすると言う構図になりました。やってやった。僕だってやればできるじゃないか。鏡の前で猛練習した甲斐があったぜ!という感想を抱いていると、突然「体育館のどこにするの?」と訊ねられました。

はてな、体育館のどことはどういうことだ?なんか聞く話によると体育館の中でもフロア、ステージ、卓球場、通路というふうに場所が小分けされているらしく、一番最初に勝った僕にはそれを優先的に選択する権利が与えられたようです。ぶっちゃけ体育館の中を担当できればどこでも良かったので、僕は「どこでもいい」と答えました。しかしこの時勝利に酔いしれ周りが見えなくなっていた僕は、このいい加減な返答が後に待っている悲劇の差し金だとは思いもしませんでした。

「君、ステージよろしくね」

体育館清掃が担当できると決定し浮かれていた僕に、突然驚きの宣告が言い渡された。もう勝利に酔いつぶれて二日酔いみたいな症状を呼び起こしそうな状態だった僕は、ステージという場所の特殊性に気付いていなかった。ステージという場所は体育館の中のほかの場所とは違い、唯一雑巾掛けを要する地帯なのです。まさかステージの上に堂々とモップを持ち込むわけにも行かないし、しかも面積も教室に比べて圧倒的に広いしで清掃する側にとっては全くメリットがありませぬ。むしろ全てがデメリットだ。

その日から新しい清掃場所が反映されることとなったのですが、このステージという場所の清掃の大変さは僕の予想を遥かに超越したものだったのです。

先程述べたように面積が広いのですが、それに加え他の人が教室の時以上に清掃をしてくれない。女子なんてグランドピアノの下に隠れて雑談してるもんだから必然的に全ての仕事が僕にまわってくるという展開になります。本来ならば雑巾掛けの前に箒を掃いてゴミを一掃しておくのですが、この場合はそれもなし。そのまま雑巾を滑らせるものだから雑巾はすぐに汚れて破れ死亡し、次々と死んでゆきました。だだっ広いステージを一人でゴキブリのように這いずり回るというのは、もうある意味芸やお笑いの世界に匹敵していると思います。道端芸だったら、一回の公演で五円は稼ぐことができたと思う。

それに雑巾と共に床を駆け抜ける僕のすぐ近くにはグランドピアノの下でサボっていられる方たちがおりますからね。僕みたいに耐えるということの習慣がついていない人だったら、発狂してグランドピアノでシューベルト作曲の魔王とか弾いてたと思う。

そしてその女子たちが時たまグランドピアノの下からひょいっと顔を出して「おい!ちゃんと掃除しろよ!!」とか意味不明ないじめみたいなこと言うもんですから、僕は衝撃を受けた。身体ぼろぼろ。心は八つ裂き、いや、九つ裂き。でも雑巾掛けは、雑巾掛けだけはやらなければならないのだ!

かくしてこの状況下での体育館ステージ清掃は約半年ほど続き、僕は究極の精神と共に雑巾掛けという新たな財産を手に入れたのでした。

だけど次の清掃担当場所でもやはり雑巾掛け、その次の場所も雑巾掛け、その次も雑巾掛けというふうに僕は雑巾に付きまとわれ、ついに中学校三年間で雑巾掛け以外の清掃はできませんでした。体育館ステージで確立された僕の雑巾掛けにさらに磨きがかかり、とうとう神の域に達するほどの速度とテクニックを手に入れたのでした。別にゾウキングなろうと思ってなったわけじゃないんですよね。


と、長くなってしまいましたが、これが僕が雑巾掛けという特技を完全に自分のものにしたまでの経緯です。今こうやって振り返ってみると、僕がゾウキングになるまでの歴史は泥まみれでした。もともと僕には雑巾掛けの才能なんて無かったのかもしれないのだけど、長い間僕と共に駆けてきた雑巾が築かせてくれた。そういう意味では、あの時グランドピアノの下にいた女子には感謝しています。僕がゾウキングになれたこと。それは僕の一生の誇りです。

ここでは僕の体験を一例として挙げてみたんですけどね、結局何が言いたいかっていうと、僕に限らず人間は必ずしも可能性というものを持っているのだと思うのですよ。クリスマスなんか滅亡するべきだと思っている人もたくさんいると思いますけどね、要はモテる人ってのは自分の可能性をそこに使い切っているというだけのことでね、人間の残された可能性というのは常に平等だと思うのです。

下手にモテまくって女遊びばかりしている人より、むしろ女性に嫌われ人生に絶望を味わって生きている人。そういう人の方が何倍も素敵で格好良いし尊敬に値すると思います。努力なしに栄光を築くより、地で絶望という字を隣において常に頑張ってきた方が、大器に成る。これは間違いないと思います。

僕も現代の人間ですが、最近の人間は苦労を知りません。産まれた時から周りに物が溢れていて、自分の手に入れたいものがすぐに手に入ってしまう。自分の欲求をすぐに満たせてしまう。僕は現代という時代がどれほど狂っているか、雑巾掛けを通して知りました。皆さんも、自分の周りを見渡してほしい。きっと社会の狂いが、大いなる矛盾が見つかると思います。苦労という文字を覆した、世界の矛盾が―。


でね、最終的に何が言いたいかっていうと、掃除機ですよ。うん、掃除機。あれは許せない。何が「ヴィーン」だ。何が「吸引力の変わらないただひとつの掃除機」だ。雑巾掛けなんて、掃除機の全てにおいて完敗じゃないか。掃除機という文明の賜物がある限り、僕の雑巾掛けなんて何の役にも立たないじゃないか。むしろ雑巾掛け、いや雑巾自体の存在理由が問われるじゃないか。


僕の頭の中に、ひとつの等式が浮かび上がってきた。

『僕-雑巾掛け=死』

すみません、この等式なかったことにしてください。
クリックで救える順位がある→人気Blog Ranking |  2007/01/18-15:40 |  COMMENT(5)

バトン 2007/01/15-Mon

いやあ最近気がついたことあるんですけどね、中学生のブログって大きく二つに分けられると思うんですよ。

一つは日々に起こったことを日記として羅列していくブログで、もう一つはネタ、要するに日常に起こったことではなく自分の思考で話を膨らませるブログ。後者のネタというのは、最近このブログで書いた記事で言うと「1+1=」みたいなやつだと捉えてもらって結構です。

僕の場合は前者後者が混ざり合ったブログだと思っているのですが、後者の方式をとっているブログってのは中学生では非常に少ないのですよ。しかも加えて、驚くほどすぐにネタが底を尽く。ほら、普段の日常生活でそんなに面白いことが起こることってあまり無いじゃないですか。だからどうしても僕みたいな人は自分で勝手に妄想した「ネタ」を使うわけですよ。でも日記よりはネタの方がマシな日記を書けるみたいで、僕が気に入っている記事や評判が良かった記事も三つのうち二つがネタ記事なので、悪いってことでもないんですけど。

それで本日も例によって面白いことは全く起こらなかったので、ネタ記事を書こうとしても肝心の「ネタ記事」の「ネタ」が思いつかない。何言ってるか分からないんだけど、こりゃまずい。学校行って授業受けて給食食べて寝た、なんて日記も書けないし今日は更新サボろうかなと思いながら他のブログを徘徊していると、蒼穹さんからバトンが回ってきていたので今日はそれで勘弁してください。



■Q1.あなたにとって友だちとは?
A.友達は友達、それ以上でも以下でもない。

■Q2.友だちは多いほう?
A.基準が無いのでよく分からないんですけど、多くはないですね。

■Q3.イヤなことがあると、友だちと縁を切る人?
A.嫌なことっていうか、多分僕が一方的に相手に不快感を与えているので縁を切る以前に嫌なことさえないですね。

■Q4.友達とは広く浅く?狭く深く?
A.多分狭く深く。

■Q5.異性の友達はあり得る?
A.ない。

■Q6.友だちに欠かせない条件は?
A.ない。

■Q7.ズバリ、あなたが性転換して異性になった時に結婚してみたいと思う友達は?
A.なんで質問によって「友だち」と「友達」と変換を使い分けているのですか?

■Q8.友だちの頼みは断れる?
A.内容によっては躊躇無く断れます。

■Q9.初対面ですぐ友だちになれる?
A.ただでさえ口下手なので初対面の人と仲良くするってのは無理ですかねぇ。だけど年上の人だったら案外上手く話せます。年下とは話せない。
 
■Q10.親友は何人いる?
A.5人くらい。

■Q11.あなたが本当に心を許せる友人は何人いる?
A.前の質問となんら変わりありませんから。

■Q12.知り合いが友達に変わる時ってどの瞬間?
A.あれは3年ほど前の出来事だったでしょうか。なんとなく一人で厚い雲に陰りながらも眩しい太陽の光に照らされた校庭を歩きながら自然の美しさに感動していたのです。その校庭の片隅にはうさぎ小屋があって、そこにはうさぎやインコが飼われていました。こう言っては少し気持ち悪いかもしれませんけど、僕は動物が徐々にだけど確実に、そしてたくましく成長していくのを見るのがとても楽しみでした。また、校庭にはたくさんの木が植えられていて、その一本一本が皆一生懸命生きているのがひしひしと伝わってきて、ついついその美しさに酔いしれてボーっとしていたのです。

そりゃ自然を眺めながら過ごすことができるというのはとてもロマンチックで悪いことではないのですけれど、教室では良く話す友達も自然を眺めるという目的しか持っていない僕とは別行動にならざるを得ませんでした。それもそのはず、3年前というと僕たちはまだ小学生。小学生が自然の美しさに感動できるわけないし、それにできたらできたで気持ち悪い。僕の自然を眺めるという行為に共感できる友達は誰一人としておらず、昼休みの時間は色々な意味で独りでした。

だけど、その日、僕がいつものように自然を堪能していると、背後から急に人が話しかけてきたのです。話しているとどうやら彼も自然が大好きだという僕と同じ趣向を持った人らしく、僕の隣に座ると僕と同じように木や生物を眺め始めました。彼はクラスメートで、僕とはそれほど仲良くない。それ以外の情報は、彼のプライバシーを守るために一切を伏させてもらいますが、僕とはそんなに仲が良くなかった。そんな彼が急に僕の隣に座り始めて同じように自然を満喫し始めたのです。

僕はこれに驚きを隠すことはできませんでした。今までそんな人は一人としていなかった。だけど、彼はもう僕の友達。昼休みの時間に限ってだけど、彼と僕はもう友達。この時、僕は知り合いが友達に変わったと思いましたね。っていう話は端から端まで全てフィクションです。

■Q13.友達に一番期待することは何?
A.期待することってどういうこと?

■Q14.友達に言われて一番嬉しかった言葉は?
A.めんどくさくなってきた。

■Q15.友達に言われて一番悲しかった言葉は?
A.fdさ

■Q16.尊敬する友達を一人!理由は?
A.tfcrdxesz

■Q17.友達と恋人どちらが大事?
A.;lkjhgfdsa

■Q18.友達とケンカしたらどうする?
A.じゅきぉ;p

■Q19.最愛の友達にメッセージをどうぞ!
A.亜bcでfg費jklmのpqrsつvwxyz

■Q20.バトン回す友達5人
僕はあまり押し付けというものを好まないので、ネタが無くて困っているという方のみお受け取りください。

あと、中盤手を抜きすぎました。申し訳ありません。
クリックで救える順位がある→人気Blog Ranking |  2007/01/15-18:37 |  COMMENT(6)

さいと焼き 2007/01/14-Sun

今日はどんど焼きという行事があり、僕もそれに参加していました。

一般的には「どんど焼き」という呼び名なのだけれど、地方によって呼び名は違って、僕の住んでいる地域では「どんど焼き」のことを「さいと焼き」と呼んでいてそっちの方がなじみがあるので、以下「どんど焼き」を「さいと焼き」と呼ばせてもらいます。

もしかしたら地域で実施されていなくて知らない人もいるかもしれないので一応簡素に説明しておきます。さいと焼き(どんど焼き)とは、3mほどの竹ぐしに団子をいくつか刺し、ゴミ山のようにわらや紙を一点にまとめてそれを燃え上がらせ、竹ぐしに刺した団子をその火の中に入れて一気に蒸し焼きにしちまおうぜベイベーという行事です。簡単に言えば、団子を焼く行事です。

一般的に今日か明日がその実施日で、僕が住んでいる地域は今日だったのでさいと焼きに行ってきたというただそれだけのことです。だけど、そこには正当な行事とは思えない信じられない事象があった。

まず、場所が有り得んかった。公民館という区の中心的存在の建造物の敷地で行われたのだけれど、その敷地というのがコンクリートの地面で驚くほど狭くて、おまけにすぐ隣に民家が隣接しており、さらに公民館自体ももちろん燃える危険性がありました。知らない人のために言っておきますけど、さいと焼きってかなりの規模の炎が燃え上がりますからね。灰色の煙がもくもくですからね。火事の危険性抜群ですよ。ただでさえ危ないのに、狭くてコンクリートで民家がすぐ隣という究極のチョイスですよ。有り得んもん。こんなの。

そんな感想を抱きながら敷地の真ん中に積み上げられたわらと紙の山を見つめていると、「祭」と背中に堂々とプリントされたはっぴを来たおじさんがどこからともなくやって来て、その山に点火を始めました。いやいや、別に祭りじゃないしと思いながらその光景を眺めていると、徐々にだが確実に赤い炎が煙を立ち上げながら点いてゆき、見る間に天を見上げるほどの大きな炎が現れました。

それを見ると皆思い思いに団子の刺さった竹ぐしを取り出して燃え上がる炎の中に入れて団子を焼き始めたのですが、敷地はやっぱり狭かった。うむ、人が入り切らぬ。僕は何とか自分のポジションを確保できたのですが、あまりの狭さに身動きができなくなった。いや、正確に言うと動くことはできるのだけれど、嫌になって逃げ出すことができなくなった。つまり、ポジションを動けなくなって自分の自由を奪われた。野球で言えばボールが飛んできても足が骨折してて動けないセンター、っていう感じでした。

そんな環境の中で辛抱強く団子を焼き続けていたのですが、これが退屈な作業で、焼くというも本当にただ火の中に団子を入れているというだけですからね。熱いし暇だし動けないしでかなり追い詰められてきた。

そう思っていたその時、竹ぐしの先端が折れて団子が火の中に落ちてしまいました。しかしこれはさいと焼きにはよくあることでして、ただ竹ぐしを火の中に突っ込んで団子を転がして取り出せばいいだけ。そう冷静に考えて竹ぐしを火の中に突っ込もうと前に出ようとしたのですが、人と竹が密集しすぎてて竹ぐしが火の中に突っ込める範囲まで進めなかった。

かくしてさいと焼きのプログラムは終わり、僕は家に黒こげた団子を持ち帰りました。さいと焼きで焼いた団子を食べるとその一年間風邪を引かないという言い伝えがあるのですが、この団子を食べたら風邪がどうのこうのじゃなくて体がおかしくなると判断したので親から団子を分けてもらい、よっしゃ、これで風邪引かねぇぜと心から喜びながらその団子を胃袋の中に入れたのでした。

そういえば、その敷地から50mのところに地面が土でかなり広い場所があったそうな。なぜそちらを使わなかったのかは謎なんじゃがのう。
クリックで救える順位がある→人気Blog Ranking |  2007/01/14-18:52 |  COMMENT(3)

1+1= 2007/01/12-Fri

『1+1=?』

お笑いやバラエティブームの現代において、これほどまでにボケるのが難しいお題は無いと思う。なぜかというと、これに対するボケ方はある程度限られたパターンしかなく、しかもその全てのパターンを実践してもスベる可能性が高すぎるからです。月並みのものもあれば意味の分からない答えを無理やりこじつけるものもあり、正直言ってこのお題で人を笑わせることができる人はたとえ吉本興業所属であっても一億くらいの収入は得るべきだと思う。では、この「1+1=」を使って、人を笑わせることがいかに難しいのか実践してみましょうか。


「1+1=3」全く意味が分からない。完全にスベってる。
「1+1=田」月並みだしどこにも笑える要素が無い。
「1+1=11」単純すぎて笑いがこみ上げてこない。むしろ怒りが湧いてくる。
「1+1=2」敢えて正統で勝負。
「壱足壱和弐」ただの思い付きである。
「1+1=391352887235-391352887233」すまない。正直ネタ切れである。
「1+1=√4(√9+2)-6」ネタ切れにもかかわらず続行した結果である。


はいスベったー。もうスベりまくり。ここまでくるともう、うっとうしいだけ? みたいな。ああ、これもスベってますね。はいはい、分かってますから、そのくらい。どうでもいいことなんですけど、「スベる」と変換したいときには「スベル」と入力してから「ル」だけをひらがなに直さないといけないからめんどい。「ボケる」は一発で変換できるのに。うむ、ウルトラスーパーハイパーミラクルサンダースペシャルスペシウムロケットミサイルくらいどうでもいいことですわ。はいはいはい、スベってますね。今気がついたのだけど、先に「スベ」とだけ入力して後に語尾を入力すればなんでもないことだった。あと、この段落は漢字の使用量が少ない気がする。

おや、いつの間にか話が逸れてしまいましたね。そうそう、「1+1=」はどんな扱い方をしても絶対スベる。スベらないことはありえない。スベらずにボケることは数学的理論上不可能である。スベらずにボケることができるボケ方を数学的に証明することも不可能である。そのくらい「1+1=」を扱うのは難しい。しかしそこまでボケて笑いを誘うのが難しいとなると、実は「1+1=」はボケに使われるものではなく、本来何か別の目的を持ったもの、そう、例えばことわざなんかとして生まれてきたものなのではないか。

「1+1=3」 これをお笑いの分野として受け止めてしまえば、受け止めた側の情緒には何の変化も現れず、逆に冷淡な気分になってくると思うのだけれど、少し解釈を変えてみれば感動的なことわざへと変貌するのです。「1+1=3」 本当の答えは2。3になんかなるはずないのに、面前には3という数字が堂々と鎮座している。これは、「小さな努力でも積み重ねればどんな不可能も可能になるのだ」ということを表しています。

「1+1=田」 も、本質的にはあまり変わらない意味で、これは「物は集まることで大きくなる」ということを表しています。怖いものにも、皆で立ち向かえば怖くない。「赤信号、みんなでわたれば怖くない」という言葉によく似ています。


要は教訓なのですよ教訓。人間は努力だ。努力なくして進歩はありえない。天才は1%の才能と99%の努力である。「1+1=」は緩いお笑いに用いられているなんて浅いものではなく、人間にとって最も重要であり、またその歴史を創るための要因となった「努力」の大切さを表している、とても奥深くてまた見かけは単純な言葉。そこまで読み取ってほしい。努力って大事だと思います。何せ人間の文明がここまで発達したのも、人間の努力のおかげに他ならないのですから。僕は今日テストがあったのに何にも勉強して来なかったんですけどね。

本日の『1』の使用回数=36
1×36=36
クリックで救える順位がある→人気Blog Ranking |  2007/01/12-18:35 |  COMMENT(6)

変わり者 2007/01/10-Wed

今更のことであるのだけれど、僕は相当の変わり者だと思う。もうここまで来ると、道端のショーケースかなんかに入れられてその私生活を一般公開されても何ら不思議ではない。

例えば、最近の音楽、いわゆるJ-POP? 確かそんな感じの呼び名だったと思うけど、僕はその音楽を全く聴かない。僕以外の中学生はほぼ例外なくそういう系の音楽を耳にたこができるくらい聴いているらしいけど、僕は全く聴かない。本当に何にも聴かない。コーラス以外で人の声が入っている曲を聴いたことがない。友達とかと話していて歌の話題になったときも全くついていけない。

しかも僕は話題についていけないどころじゃなく、現代の音楽界の常識も全く知りません。レミオロメンってなんやねん! 新種のメロンか!! アホが!!! ペチ!!!! みたいなそのくらいの常識の無さで、自分でも少し驚いています。

だけど、音楽という音楽を全く聴かないということではなくて、ちゃんと聴いている音楽もあるのです。ここで紹介しても知っている人はあまりいないだろうから詳しい説明は省かせて頂くけれど、今最も気に入っている曲は「片翼の天使」という曲です。これはFF7のラスボスの曲で、ラテン語のコーラスが入り非常に不気味な曲調です。中学生でこの曲を好きになれるのは多分僕だけでしょう。ちなみに僕が好んで聞くのはオーケストラバージョンの片翼の天使です(分かってくれる人だけ分かってくれれば良い)。

僕はこの曲に出会ってから、そのあまりの素晴らしさに感動し、他のJ-POP系の音楽が全く聴けなくなりました。あ、でも、J-POP以外なら割と何でも聴けるかも。

まあ僕がどれだけ変わっているかなんて今までのこのブログでの言動を見てくればお分かりになるとお察しするから、僕の変わりっぷりを世間に露呈するなんて行為は今後一切避けていこうと思います。

ちなみに、僕には2歳の時にコンクリートに頭を打ち頭がいろいろな意味でおかしくなったという噂があります。
クリックで救える順位がある→人気Blog Ranking |  2007/01/10-18:47 |  COMMENT(3)

B型 2007/01/08-Mon

B型と言うだけで、世間はその人を避けて通る。

社会が狂ってきていると思うのです。世間がB型を差別しているのです。人間は平等と言っておきながらこんな身近に差別された人種がいるじゃないですか。世間のB型に対する扱いは本当に酷いものです。自分がB型だと相手に知られるとそれだけで引かれて白い目を向けられたり、「へぇ~ぇ」と明らかに目に見えて暗いリアクションをとられたりするものです。さらに、某企業ではB型の人間ならばその人がどんなに優れていても雇わないという究極の差別雇用法をとっているらしいです。酷すぎる。

今や血液型ブームで、様々なテレビ番組でそれぞれの血液型の特徴を紹介したりなんかしていますが、この時に決まって出てくるのは、B型がマイペースで自己中だということ。それがテレビ番組や本で壊れかけたレイディオのようにエンドレスで繰り返されるものですから、B型以外のほぼ全ての日本人は、B型は最悪で汚れた血液型だと思っているのだと思います。だけど僕はそれを否定したい。僕の全てを持って真っ向から全否定したい。

僕がこうしてB型に対する意識に対して熱弁しているということはもちろん僕自身がB型ということなのだけど、あまり引かないでほしい。B型の中にはそりゃ究極のマイペース人間とかもいますけど、皆が皆自分勝手ではないのです。中には非常に優れた人間性を持つ人もいます。それにあまり知られていないのですけど、B型は頭の良さ、運動神経、容姿の全てにおいて全血液型中トップの三拍子揃った血液型だということが、某ランキングサイトのアンケートによって証明されているのですよ。

東大生に一番多い血液型、スポーツ選手に多い血液型、芸能人やお笑い芸人に多い血液型がB型なので、実質的に最も優れているのはB型なのです。あくまでアンケートや検証の結果ですが。ここで例を挙げてみると下記のような有名人がB型です。


長嶋茂雄、イチロー、清原、上原、古田敦也、 渡哲也、松本幸四郎、矢沢永吉、布袋寅泰、元XのYOSHIKI、DJ OZMA、尾崎豊、つんく、吉川康司、亀梨和也、岡田准一、速水もこみち、小池徹平、山本KID、亀田三兄弟、辰吉丈一郎、明石家さんま、松本人志、HG、香田晋、松平健


見てもらえれば分かるように、B型の有名人は世界に誇るトップアスリートから、人気歌手やアーティスト、芸能界の大御所的存在まで揃っているのです。どうだ、恐れ入ったか。偉大な人間はB型が多いのだ。他の血液型にも凄い人はたくさんいますが、これで世間のB型に対するマイナスイメージは全て払拭できたと思います。B型の人は椅子から跳び上がって踊り狂うように歓喜し、他の血液型の人は憎悪の念をふつふつと沸き立てたのだろうと容易に想像することができます。

でもあまり怒らないでください。マイペースで空気が読めなくて自己中発言が多い、つまり性格が悪いということに加え世間からの評価も悪いB型において、頭が良くて運動神経抜群で容姿端麗だという良好な三つの特徴要素は、B型の人間にとって唯一の救いというか、心の置き所なのですよ。ただ、自分はアホンチクリンクルクルパーで運動音痴でルックスも最悪で、その三つに全く当て嵌まっていないのが少し残念なことではありますが。

とりあえず、あなたもB型に対する意識を少し改めてみたらどうでしょうか。周りから否定され蔑まれるB型は非常に肩身が狭いです。それも今までメディアが培ってきたB型差別化運動のおかげですね。僕自身は基本的に細木数子の六星占術以外の占いは全く信じていないのですが、血液型に関してはちゃんとしたデータもあるので何とも言えません。しかし、血液型が人の性格や能力の全てを決定する要素ではないということだけは結論として書いておきます。

しっかしこの記事書いてて思ったんですけど、僕ってやっぱりB型?
クリックで救える順位がある→人気Blog Ranking |  2007/01/08-18:14 |  COMMENT(9)

縁起担ぎ 2007/01/07-Sun

受験のシーズンになってきました。

この時期になると学校にもピリピリムードが漂い始め、そのプレッシャーに耐えられなくなると突然発狂して、机の上に立ってどこかの民族の伝統の踊りを披露したりベランダから飛び降りたり色々なことをする人が現れますが、もっと真剣に進路のことを考えた方がよろしいのではないでしょうか。

特にあれ。キットカットっていう食品に依存する人。だめよ、それ。

キットカットが「きっと勝つ」にかかって縁起担ぎをしているのだと思いますが、もし本当にそれを食べたことによって何か不可思議なパワーが与えられるのだとしても、あくまできっとですよきっと。第一受験の前だけ食べたって効果ないと思いますよ。本当にキットカットの力を信頼するならこの世に生を受けてから一日も欠かさずにキットカットを食べるべき。

とんかつも同じですよ。こっちはもっとストレートに「勝つ」って言ってますけど、あくまで気休めですよ。それに効果に期待するならキットカットのように毎日欠かさず三食とんかつを食べなければなりません。やってみれ、体おかしくして受験の時腹くだすから。

僕はどの角度からどんな姿勢で見ても究極の勉強嫌いの男で、ただのアホなのであまり言えることではないかもしれませんが、やっぱり縁起物に依存するのではなくて自分の力で自分の目的への道を開拓することが大切だと思います。即ち、受験は縁起物をあてにするのではなくて自分自身の努力によって自信を得ることで成功すると思うのです。

僕の場合は受験まであと一ヶ月を切っていますから、こりゃ勉強しなきゃならんのです。勉強しなきゃどうにもならんのです。というわけで、今日一日の僕の生活を振り返ってみますか。

9:50  起床
10:00 だら~っとなんとなく寝転がってそのまま午後を迎える
12:30 昼食
13:00 眠くなってきたので寝る
15:00 起きる
15:05 音楽を聴く
16:00 寝る
16:30 そういえばもうそろそろ勉強しなきゃなと思いながらパソコンを起動する。
18:00 夕食

あ、もし「ゼッタイカット」って食品があったら大量購入するかも。
クリックで救える順位がある→人気Blog Ranking |  2007/01/07-19:13 |  COMMENT(3)

略語 2007/01/05-Fri

他の人には全く関係ない、宇宙の秩序からしても何の変哲もないことなのだけど、本日から学校の授業が再開したのです。明日から三連休なのに、本日から学校を再開させた教育委員会の考えがいまいち解せませんが、そんな私的な感情はぐっとこらえて学校へ颯爽と参上したのですよ。でも、僕ってば張り切って朝早くに行き過ぎたようで、人が全然おらず新年の学校最初の朝に虚しい思いをしたのでした。

さて、新年の学校で早速虚しさを味わった僕ですが、年賀状のことについても少し気になっていることがあります。そうそう、これは単なる報告で気になっていることではありませんが、先日の年賀状について触れた日記の中に「担任の先生に年賀状を出してない」と書いたのだけど、次の日に無事ポストの中にぶち込むことができたので一件落着となりました。

喜ばしいことに僕のような人間にも年賀状を出してくれる人はこの大気圏内にも存在するらしく、今年も何枚か何十枚か何百枚か何千枚かの年賀状が僕の元に届けられました。親戚、友達、先生、霊界などバリエーション豊かな人から届いたのですが、その中にどうも引っかかる年賀状がありました。その年賀状にはメッセージとしてこう書かれていた。

「おねしま」

あけおめ、ことよろ、といった略語はよく聞いたり見たりします。無論、あけおめはあけましておめでとうの略で、ことよろはことしもよろしくの略である(と思う)。しかし、おねしまという略語は今まで生きてきた中で一度も聞いたことがありませぬ。もし耳に入ったこともあったとしてもそのまま通過していってる。僕はここではおねしまは略語だと受け取っているけど、そもそもこれが略語なのかどうか真意は定かではないのです。おねしまが正式に存在する単語だという可能性も否定できない。尾根島かもしれない。

ということで、YAHOO辞書でおねしまと入力して検索してみたのだけど、そのような単語は出てこない。次に、広辞苑でおねしまと引いてみた。途中で「おもろい」「面黒い」という語を発見したのだが、おねしまはやはりない。よって、おねしまは何かの略語だということで結論はついた。

YAHOOやGoogleで検索してしまえばそれでおねしまが何の略かすぐに分かりますが、まずは自分の考えを持つことが大切です。例えば数学の問題を解いていき、分からない問題にぶつかったとしましょう。しかし、ここですぐに模範解答を見て写すだけでは何の効果にありません。まずは分からなくとも自分で考えてみるのです。考えて自分なりの答えを出した後、模範解答を見れば自分の考えが覆されて良い意味でショックを受け、感動を覚え、それが次への成長へとつながるのです(と思う)。

僕の結論
おねしま→おねしょしました

うむ、完璧だろう。何をどう考えてもこれしかない。「おねしょしました」ならおねしまと短く略しても何の違和感もないし、「おねしょをした」、と直接言うのが恥ずかしい時にも重宝できると思います。うむ、芸術性、実用性に優れているこれしかなかろう。

で、答えを確認するために「おねしま」で検索してみました。すると、なぜだか知らないけど「今年一年もおねしまです」とかいう文章が多く見つかりました。今年一年もおねしょしますなんて、普通の人間に言えることだろうか。それで最も顕著に見られた特徴が、その文章が「あけおめ」と併用されていることが多いということでして、とまあさすがの僕もここで「おねしま」が「おねがいします」の略だということに気付きましたけど、ええ加減なんでもかんでも略すのはやめてほしい。

このままでは、「ありがとうございます→ありござ」とか「失礼します→しつしま」とか、語感を完全に無視した略語が次々と生まれていってしまうと思います。

パソコンがパーソナルコンピュータの略だということを知らない人が出てきたように、そのうち「ありござ」や「しつしま」という単語も当たり前のように使われる時代も来てしまうのではないかと思います。その時は、その略語を創った人として僕をテレビで紹介してください。おねしま。
クリックで救える順位がある→人気Blog Ranking |  2007/01/05-22:09 |  COMMENT(4)

格言 2007/01/03-Wed

昨日は新年の挨拶を兼ねて親類の家に遊びに行っていたので更新ができませんでした。我が家には、一月二日に親戚の家へ行くという古くからの伝承があります。例年なら一泊するのですが、さすがに今年は受験があるのでということで日帰りの旅となりました。ちなみにその親戚宅は市内に所在し、しかも車で五分ほどで到着します。うむ、いつでも赴くことが可能である。

親戚宅に到着後、いつでも行けるような距離にあるのに一年間一度も会っていなかった親戚と再会し、しばし歓談を楽しみました。親戚サイドには大学受験を控えた高校三年生と、僕より一つ年下の中学二年生がいてこの二人が僕の従兄弟に当たるのですが、高三の方は頭が良くてスポーツができて容姿に優れていて性格が良くて常識があって学級委員長も何度か務めてきている、いわゆる正統派モテ人間です。不良やヤンキーのようなひねくれたモテ方ではなく、完全形のモテ体質を持つ方でおられます。中二の方は兄(高三)とは少し性格が違いますが、無論モテ人間です。え?あ、そんなのどうでも良かったですか?すみません。

まあ僕自身も従兄弟がモテるだモテないだなんてどうでも良いですが、っえ?いやいやいや本当にどうでも良いですよ。え??い、いや、だから、本当にどうでも良いんですよ。別に良いなあとか羨ましいなあとか僕と正反対だなあとかそんな妬みの感情は抱いてませんから。

だからそのことは置いといて、お年玉が異常に集まったんですよ。PS3とWii、さらにそれぞれに対応したソフトを一つずつ買ってもまだ余るほど集まったんですよ。

その親戚の家族限定じゃなくて、僕の家系と繋がりがある親類がありとあらゆる方面から集まってくる、新年会のようなものが毎年開かれるのです。文字通りありとあらゆる方面から集まってくるので、名前も知らない、それどころか顔も見たことが無いような人がうじゃうじゃと集結してきます。そういう人たちが皆通りかかるとお年玉をくれるものですから、僕の手元にはそれだけで一年間暮らしていけそうなほどの膨大な金額のお年玉が。え?あ、どうでも良いですね、すみません。

従兄弟の関係にある僕が言うのも難ですが、その高三と中二のお二方は僕より一回り優れているものですから、僕も絶大な信頼を寄せているのです。向こう側はどう思っているのか分かりませんが。新年会の席で高三の従兄弟と話をしていて志望校の話題になったのですが、先程紹介したように、っていうか言わなくても分かるように高三の従兄弟は大学受験を志す受験生です。その席で志望大学を聞いてみたのですが、驚きで飛び上がって机をひっくり返しそうになりました。

あんた、そんなに世間からの評判良くてモテるのにこれ以上評価上げてどうすんの?何様のつもり?と脳内で従兄弟に問いかけながら高校受験について話をしていったのですけど、ここで彼の口から「高校受験なら一月から受験勉強を始めても大丈夫だ」という爆弾発言が飛び出しました。

「高校受験なら一月から受験勉強を始めても大丈夫だ」彼とは対照的に凡才で馬鹿で愚かな僕はこの発言をどう捉えてよいのか分からない。天才ゆえに凡才のことが理解できないうえでの発言なのか、それとも彼の天才的頭脳で凡才の能力を十分に考慮したうえでの発言なのか。

とても迷ってしまいますけど、ポジティブな僕はこれを文字通りの事実として捉えることにします。まあどう捉えても、現在が一月なので関係ないんですけどね。受験生の皆さん、もう一月ですが彼の名言を信じて頑張りましょう。というか、信じるしかありません。
クリックで救える順位がある→人気Blog Ranking |  2007/01/03-19:29 |  COMMENT(4)

謹賀新年 2007/01/01-Mon

あけましておめでとうございます。

うむ、それだけ。
クリックで救える順位がある→人気Blog Ranking |  2007/01/01-19:45 |  COMMENT(6)


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